ハリド日記~ハリドのOfficial Blog~

行ってみたところや世界の雑学など

イラク戦争開戦日によせて

f:id:kentravel:20170321050028j:plain

(写真:バビロンのライオン像にて 撮影日:2017年3月9日)

 

イラク戦争が始まった2003年3月から今年で14年。バグダッドの地に降り立ってから初めてこの日を迎える。今年のイラク訪問で感じたことを風化させてはならない、その想いが冷めないうちに、こうして文章として残しておこうと思う。

 

f:id:kentravel:20170321054655j:plain

(写真:クーファの大モスク 撮影日:2017年3月10日)

 

僕が初めてここイラクの地を踏んだのは今回が初めてではない。これまでに2015年、2016年とイラク北部のクルディスタン地域を二度訪問している(※帰属未確定のキルクークを含む)。

 

f:id:kentravel:20170321064738j:plain

(写真:アルビールの城塞にて 撮影日:2015年2月4日)

 

そもそも単身赴任で海外を飛び回る父のもとで育った自分は周囲と比べても海外への関心が強いほうだったように思う。幼少期はさまざまなものから影響を受けるものだが、僕の場合は海外志向の両親の価値観が影響してか、とりわけ世界の時事を伝えるニュース番組やドキュメンタリー番組に影響を受けた。この不正に満ち溢れている世界を自分の力で少しでも変えたい、僕はこの頃からそう願ってきた。長期にわたる個人的ないじめの経験もこの思いに拍車をかけた。

 

f:id:kentravel:20170321051352j:plain

(写真:バグダッドのテレビ塔 撮影日:2017年3月7日)

 

多感な幼少期に勃発したイラク戦争(第二次湾岸戦争)は、とりわけこの中東という地域への関心を深めるきっかけとなった。現在アラブ熱を燃やす自分の端緒はこのときから始まったといえる。とはいえ、小学3年生当時の自分にはイラク史の知識などほとんどなかった。僕が知っていたイラクに関する情報は、イラクがサダム・フセインという独裁者によって支配されているということ、また、彼が幾度と周辺国に対して戦争を繰り返してきた「悪い人」だということ、ただそれだけだった。

 

f:id:kentravel:20170321052726j:plain

(写真:バグダッド鉄道駅にて 撮影日:2017年3月6日)

 

2003年のこの日、テレビは一面イラク戦争の報道でいっぱいだった。どのチャンネルをつけても目に入ってくるのは暗闇のなかで燃え上がる首都バグダッドの映像だけだった。一度の爆発でどれだけの人が命を奪われているのか、それを考えずにはいられなかった。このイラク戦争開戦から僕は毎日のようにイラクに関するニュースにかじりつくようになった。開戦からまもなく首都バグダッドは米軍の猛攻を前に陥落、サダム・フセインの銅像は広場の群衆によってなぎ倒された。その様子をニュースで見ながら当時の自分はその戦争の進捗状況に心の底から安堵したものだった。日本の平和教育を受けて育った自分が現代戦の実態を全く把握していなかったこと、また、テレビを通じて提供されるイラク戦争の報道ベースでは極めてクリーンに写っていたこともあり、あっけないバグダッドの陥落はもはや「感動的」でさえあった。同年5月にはブッシュ政権により公式にイラク戦争の終結宣言がなされたが、以後も自衛隊の派遣や日本人殺害事件など、イラクという国は僕に問題提起を常に与え続けてきた。このように、僕の中東に対する関心の原点はこの地にあり、その意味でもこのイラクとの関わりは僕にとって非常に宿命的なものだったと言える。僕がこうしてイラクという地にこだわり続けている背景にはこの14年間の問題意識の蓄積があるわけだ。 

 

f:id:kentravel:20170321051640p:plain

(写真:大量虐殺で知られるクルド人の町ハラブジャにて 撮影日:2016年9月14日)

 

大学に入学すると、いよいよ自由に旅ができる環境が整ってきた。実際に旅を続けるうちに親の干渉や反対も次第に薄れていった(1年生の8月にコンゴ民主共和国訪問を家族の反対で断念してから1か月弱のうちにパキスタン訪問を叶えるという急展開ぶりがそれを物語る)。両親が僕の旅に関してますます寛容になり始めた2014年からは積極的に中東へも足を運ぶようになった。2014年2月初頭にはカタールを経由してイエメンを訪問(それぞれアラブ世界では2カ国目、3カ国目)、同月中旬には高校時代からの夢だったイラン訪問も叶えた。この1カ月に及ぶイラン訪問は隣国イラクへの想いをさらに増幅する結果となった。この頃には、どれだけ周囲が反対しようが絶対にイラク訪問は実現してやる、と思うようになっていた。

 

f:id:kentravel:20170321055346p:plain

 (写真:多民族都市キルクークにて 撮影日:2016年9月13日)

 

2015年2月、アラブ世界では4か国目の訪問国としてイラク北部のクルディスタン地域を訪問、長年の夢を叶えることになった。ダーイシュによる日本人人質事件の衝撃から一時は断念も考えたなかでの訪問であった。結果的には予想した通りクルディスタン地域の治安は申し分なく、治安面で不安を感じることは一切なかったが、クルド民族旗ばかりがはためくクルディスタンの主都アルビールはもはや別の国の様相を呈していた。イラク国旗は政府庁舎や宿泊施設でクルド民族旗とともにはためくだけで、町全体としてはクルドの地、という意識が浸透していた。イラク戦争後に誕生した新生イラクはバグダッドの中央政府とクルディスタン地域のクルディスタン地域政府の連邦制をとる連邦制国家となっているが、このことはイラクのメインランド(以後「イラク本土」と記すこととする)への憧れをさらに加速させる結果となった。昨年9月には中央政府とクルディスタン地域政府の係争地であるキルクークを訪問、これを境にいよいよイラク本土訪問への想いは加速した。結果的にその半年後というすさまじい早さでバグダッドに降り立つことととなったのだが、この14年の歳月を考えると、ここまでの道のりは極めて長いものだった。

 

f:id:kentravel:20170321052009j:plain

(写真:古代メソポタミア文明の中心地ウルク 撮影日:2017年3月12日)

 

古代オリエントの文学では最高傑作とされる『ギルガメシュ叙事詩』を生んだウルク、古代メソポタミア最大の宗教都市ニップル、世界最初の王権誕生の地エリドゥ、三大宗教の祖アブラハムを輩出したウル、旧約聖書のバベルの塔の舞台ともなった古代バビロニアの王都バビロン、パルティア後期からササン朝ペルシア滅亡まで栄えた帝都クテシフォン、4代目カリフ=アリー暗殺の地クーファ、およびその埋葬地ナジャフ、3代目イマーム=フセイン殉教の地カルバラー、アラビアンナイトこと『千夜一夜物語』の舞台となったアッバース朝の都バグダッド、かつて「中東のベニス」と呼ばれた南部の大都市バスラ、イラク戦争後の宗派間抗争を象徴するアスカリ廟爆破事件(2006年)の勃発地サーマッラー・・・イラクは古代史から現代史まで常に重要なキーポイントを担ってきた。これらの場所を一度に訪問するというすさまじい濃密な旅となっているが、これからはその旅の内容に見合うだけの行動をこれから起こさねばならないと思っている。

 

f:id:kentravel:20170321053117j:plain

(写真:バビロン第3王朝の都市ドゥル・クリガルズ 撮影日:2017年3月6日)

 

文明誕生の地イラクが5000年以上のときを経て辿り着いた現実を目の当たりにするたび、僕の心のなかで「感動」と「虚しさ」という相反する2つの感情が交錯した。人類がより良い生活(=豊かさ)を求めて技術を革新する「文明」という概念を生み出したのがここメソポタミアだった。ウバイド期からウルク期への移行期にあたる紀元前3500年ごろからシュメール人の都市国家が人口増加にあわせて発展し、文明化の流れが世界へと拡散していったわけだが、そんな文明を生み出したシュメールの偉大な遺跡の数々を訪問したあとに「現代文明の利器」であるインターネットをつなぐたび、僕は文明のもたらした結果をみて虚しさを感じずにはいられなかったのである。5500年にも及ぶ技術革新を積み重ねたにもかかわらず、どうして人は未だに幸せを手に入れられていないのか。どうして人はこうも醜い争いを積み重ねるのか。どうして人の欲はこうも尽きないのか、人類は歴史が進むにつれて知恵をつけたように見えるが、実は文明の黎明期からその中身は一切変わっていないのではないか…。

 

f:id:kentravel:20170321053420j:plain

(写真:夕暮れのサマーワ 撮影日:2017年3月11日)

 

イギリスが旧オスマン帝国の3州(バグダッド、バスラ、モスル)を合併させて「イラク」の枠組みを成立させてからもうすぐ100年になろうとしている。また、この「人工国家」がイラク戦争を契機に「破綻国家」となってからもう14年が過ぎようとしている。今も北西部の大都市モスルではイラク軍やペシュメルガなどの連合軍とダーイシュとの戦闘が続き、バグダッドからサーマッラーに向かう幹線道路では、戦場モスルに向かう若いバシジ(シーア派民兵)や物資を積んだ車両を良く見かける。ナジャフやカルバラーの聖廟の敷地内では戦場で命を落とした「殉教者」たちの棺が行き交う。モスルのような戦場でない普通の町でも、厳重なチェックポイントや定期的な治安部隊のパトロールがなければ現在の比較的安定した治安は維持できない。国民も国土もフセイン政権時代から続く長年の戦争と内戦で疲弊している。

 

f:id:kentravel:20170321052508j:plain

(アッバース朝時代の代表的建築ムスタンスィリーヤ学院にて 撮影日:2017年3月6日)

 

新生イラクの復興を心から願っている人々は国内のみならず国外にもたくさんいるだろう。現に、エイドワーカーとしてイラクの支援に関わっている日本人も少なくない。しかし、当のイラク政府の政治情勢や関係各国の思惑などが相まってイラクの復興は未だ遅々として進んでいない。かつてアメリカや欧米諸国、日本などが投入した復興支援金は当のイラク政府の腐敗によりほとんど機能しなかったし、近隣の湾岸諸国は新生イラクの復興事業にほとんど協力しなかった。逆に、多数のアラブ人「義勇兵」が反政府勢力としてイラク国内に流入したことがイラクの治安悪化の一端を担った。友邦であるはずのアラブ諸国からの支援がないなか、イラクの復興に最も寄与している国がかつて最大の敵国として対立していたイランであるという事実は非常に皮肉極まりない事実だ(当然ながら国民レベルでの対イラン感情は極めて悪い)。

 

f:id:kentravel:20170321053929j:plain

(写真:第4代正統カリフ(シーア派初代イマーム)アリー廟 撮影日:2017年3月10日)

 

5000年以上の歴史を有するメソポタミアの地に誕生した国家イラク。この地に魅せられた者として、現在イラクが直面している問題の数々には非常に心苦しい思いをしている。まさか現実を目の当たりにしていながらのけのけと人生の快楽に突き進むなんて気持ちはさらさらない。こうしてイラクが未だ悶え続けているこの時期に当地を訪問した自分は、これからイラクの未来のためにも行動を起こさなければならない大いなる責任がある。こんな僕にだってきっとイラクの平和実現のために貢献できることがたくさんあるだろう。それをこれから地道にコツコツと積み重ねていくこと、それが僕に与えられた使命だと信じている。

 

f:id:kentravel:20170321055905j:plain

イラクの平和・再興を願って。

 

2017年3月20日