シリア見聞録 (2019)
(注)この記事を書いている私は今レバノンの首都ベイルートにいます。
*ウマイヤド・モスク(715年の建設)
つい先日シリアを離れたばかりの私。11日間に及んだシリア訪問について、Q&A形式で今の率直な気持ちを共有したいと思います。
Q. なぜシリアを訪問したのか
(1)治安面で大幅な改善がみられたこと、(2)シリア政府による観光客受け入れが再開したこと、が主な理由となります。(1)については次項にて詳しく説明しますが、主要な観光地での安全が確保されたことで、2018年11月には観光ビザ制度が大幅に緩和され、比較的自由に旅行ができるようになりました。
アラブ諸国で唯一行けていなかったシリアを簡単に訪問できるようになったと知り、2019年1月後半にコンタクトを取り、2月中のシリア訪問を実現しました。
Q. シリアは危険ではないのか
*夜のダマスカス
おそらく日本では、2012年の日本人ジャーナリスト射殺事件、2015年の日本人人質事件などもあり、シリア=危険地帯というイメージが極めて強いように思います。事実、2012〜2016年ごろはシリアの大半の地域が本当に危険地帯であり、国内のシリア人のほとんどが死に直面していた時期でもあります。
しかし、2016年のシリア政府によるアレッポ奪還を皮切りに状況は変化し始めました。2018年2月にシリア首都圏の反体制派の最後の拠点ドゥーマの奪還に代表されるように、2018年までにシリアのアラブ人地域の大半がシリア政府により奪還されています。
*2019年1月現在のシリア勢力図
赤がシリア政府軍、黄色がクルド人主体のシリア民主軍、緑がアルカイダ系のヌスラ戦線を主体とする反体制派の支配地域
こうした状況の中で政府側が支配する地域を旅行した私は、国内の治安維持がかなり機能しているという印象を受けました。主要都市では深夜でも男女関係なく人通りがありましたし、バーやカフェも深夜まで営業しているところが多かったです。いわゆる「戦地」という響きからはかけ離れた世界がそこにはありました。
Q. どこを訪れたのか
*キリスト教の巡礼地セイドナヤ
今回訪問したのは、(1)ダマスカス首都圏、(2)セイドナヤ、(3)マアルーラ、(4)アレッポ、(5)ハマー、(6)マスヤーフ、(7)ホムス、(8)クラック・デ・シュヴァリエ一帯、(9)ラタキア、(10)タルトゥース、というシリア西部の大半の主要な観光地となります。これらの訪問地においては特にトラブルもなく自由に観光ができました。
また、ダマスカス、アレッポ、ラタキア、タルトゥースには数多くの友人がいたことから、これらの都市では彼ら/彼女らとの時間も出来る限り取りながら行動しました。この点については、私を全面的にサポートして自由時間の確保に協力してくれたガイドに心から感謝しています。
Q. シリアで何に一番感動した?
*デート中のカップル
何と言っても多様性溢れる民族・宗教・文化です。これはコーカサス地方、旧ユーゴスラヴィアなどの魅力にも置き換えられることかもしれません。シリアでは、スンニ派、アラウィー派(シーア派)、イスマーイール派(シーア派)、十二イマーム派(シーア派)、ドゥルーズ派、マロン派キリスト教徒、正教徒、ユダヤ教徒、アルメニア人、クルド人など、本当に多くの人々が今日まで共存しながら1つの国の中に生きてきました。
これらのコミュニティのうちユダヤ教徒の多くは国を去ってしまいましたが、それでもなおシリアが多様性溢れる国であることには変わりませんし、私はこの魅力を強調し続けたいと思います。
Q. シリアに来て良かったことは?
*ハマーの水車
ずっと見たかったシリアの歴史的な見所をこの目で見られたことです。ウマイヤド・モスク、マアルーラ、アレッポ城、ハマーの水車(ノーリア)、クラック・デ・シュヴァリエ、の5ヶ所は特に行きたくてたまらなかった場所だったので、実際にこの目で見られて本当に良かったです。特にマアルーラの聖ゲオルグ修道院でアラム語による礼拝に立ち会ったことは最高の思い出です。
最後に
*ラタキアで見た夕陽
2011年にアラブ世界の多くの国に広がった「アラブの春」はシリアに大きな爪痕を残しました。破壊と殺戮の限りを尽くしたシリア内戦は約40万もの尊い人命を奪ったほか、国民の半分以上の約1000万もの人々から故郷を奪うという悲惨なものとなりました。
2019年2月現在、シリアの大半の地域に平和が戻り、一般人のシリア旅行は非常に簡単なものとなりましたが、今この時も国内外で苦しんでいるシリア人たちがいるということを頭にとどめ、これからも情報発信に努めていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。
質問やご意見はコメント欄までお寄せください。私のブログは旅ブログであるため、政治的なご発言についてはお控えいただきたく、よろしくお願い申し上げます。
【クウェート】秘められたダイビング大国
ダイバーの楽園
アラブ諸国のダイビングスポットと言えば、多くの方が浮かべるのがエジプトの美しい紅海リゾートでのダイビングでしょう。
シャルムエルシェイクやハルガダなど世界的に有名なダイビングスポットを持つエジプトは、そのためだけに訪れるダイバーもいるぐらい人気の高いダイビング大国です。私にとってもハルガダは特に満足度の高い場所でした。
でも、アラブのダイビングの魅力は、決してエジプト1か国だけで語れるものではありません。
今回は、アラブ諸国のなかでも特にダイビングが盛んにおこなわれている国のひとつ、クウェートを取り上げてみようと思います。
カールーフ島
クウェートでも代表的なダイビングスポットが、クウェートの島々でも最南端に位置するカールーフ島です。クウェートが誇る大規模なサンゴ礁が広がり、また、透明度も高いスポットとなります。
また、この島では、バラクーダや大型アジなどの大物も見ることができるので、そのぶん満足度も高いと思います。
クッバール島
ダイバーのみならず、シュノーケルだけ楽しみたいという方でも満喫できるスポットです。お子様連れの方には特にオススメしたい場所です。
カールーフ島同様、一面にサンゴ礁が広がっていますが、都市部から近く、時によって透明度が急激に落ちる場合もあります。しかし、この島のビーチはクウェート屈指の美しさで知られており、いろんな楽しみ方ができるのもまた魅力的かもしれません。
ファイヴ・マイルズ
世界各地で人気を集める沈船ダイブも、ここクウェートでの楽しみのひとつです。石油タンカーを筆頭に海の交通の要所として広く知られるペルシャ湾では、今も多くの沈船が見られますが、ダイバーとして訪れられる浅瀬にあるのはクウェートでもここだけ。
ナイトダイブではウミエラという変わったサンゴの一種が見られますが、ナイトダイブまでしてみる代物ではないかもしれません。。
クウェートには、他にもサメのスポットや、石油パイプラインのスポットなどもあるので、興味にあわせて潜るスポットを決めてみてください!
あと、他のマリンスポーツとしては釣りもけっこう人気で、糸だけで釣りをするツワモノも結構います...。GT(ロウニンアジ)やサメなどの巨大魚も釣れるので、こちらも是非試してみてほしいです。
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【2019年1月時点】決定版!~アラブ諸国のビザ・入国スタンプ情報~
ブログを継続してまだ一週間ですが、もう9800PVを突破しました。本当にありがとうございます。
ノリに乗っているハリド日記、今日はもう完全に飛ばしちゃいますよ...!
というわけで・・・
アラブ諸国の入国方法の決定版、出しちゃいます。
これさえあれば入国に対する不安感も割と解消されるでしょう...!
そんな皆さんにどんどん広げていってほしいです。
特に、イエメンとかイラクとかリビアとか、最新の渡航情報が全然ブログに出てこないし、そろそろ誰か書いてくれ・・・と思っていたところでもありました。
あと、アラブが怖いって思ってる女性陣のためにも、ビザなしで簡単に行ける観光向きの国についてもちゃんと公平に書いてます。
アラブを盛り上げるためにも、皆さん、本気で拡散よろしくです。
というわけで、アラブ諸国の定義から再度やり直しますが、
ハリド的な定義は「主要民族がアラブ人の国」という区分になってます。アラブ連盟加盟国という政治的な区分とは異なっているのでご理解ください。それにマッチするのは以下の19か国となっております。
アラブ首長国連邦、アルジェリア民主人民共和国、イエメン共和国、イラク共和国、エジプト・アラブ共和国、オマーン国、カタール国、クウェート国、サウジアラビア王国、シリア・アラブ共和国、スーダン共和国、チュニジア共和国、バーレーン王国、パレスチナ国、モーリタニア・イスラム共和国、モロッコ王国、ヨルダン・ハシェミット王国、リビア国、レバノン共和国
では、これから各国の状況を見ていきましょう!
(1)アラブ首長国連邦
首都アブダビや最大都市ドバイなどの見どころがあるアラブ首長国連邦(UAE)。アラブ諸国のなかでも最も観光客にやさしい国のひとつで、私がこれまでに最も多く渡航しているアラブ国家でもあります。
そんなUAEへの入国に際しては、日本国パスポート保有者は査証が不要です。まあ、当然ではありますが・・・。
入国時に以下のスタンプが押されます。入国スタンプは30日間有効です。
(2)アルジェリア
2019年現在、アラブ世界およびアフリカ大陸で最大の国となっているアルジェリア。世界遺産も極めて多く、国内のあちこちに見所が点在していますが、残念ながら入国には居住国での査証の取得が必要です。
観光査証に必要な書類は以下になります。
・全行程を記入した日程表(英語またはフランス語で記入)
⇒私はMicrosoft Wordで記入(英語)
・往復航空券の予約証明書(2部)
⇒陸路で出入国をする方も、必ず航空券の予約が必要です。
・全日程の宿泊証明書(1部)
⇒私はBooking.comの予約票をコピーして提出しました。
・申請書(2部)
⇒大手ツアー会社での入国ならまず問題ありませんが、個人での訪問の場合、やや面倒でした。査証の取得時、現地の友人からの招待を受けている旨を伝えると、スムーズに査証が取得できます。
・申請料:3600円
申請さえ通れば、2営業日で査証が受領できます。観光ビザは通常30日間有効です。
※サハラ・アラブ民主共和国(ポリサリオ戦線)が実効支配する西サハラ(通称:解放区)へ渡航する際は、その拠点となっているアルジェリア領内の町ティンドゥーフに行く必要があるため、まずはアルジェリアへの入国が必要です。
(3)イエメン
かつて幸福のアラビアと呼ばれた乳香の国、イエメン。アラブ民族発祥の地としても知られるこの国は、古くからの伝統が今も息づく魅力あふれる国です。私がアラブ文化に興味を持つきっかけとなったのもこの国でした。
そんなイエメンですが、入国には査証が必要です。
観光査証に必要な手続きは以下になります。
・旅行会社を通じて査証を取得(申請料:123米国ドル)
⇒ツアー申込ののち、2~3営業日で査証のコピーが届きます。その後、航空券を予約して入国するという手順です。
私が渡航した2014年時点では、大使館で査証を取得する必要がありました。2019年1月現在は、実際に大使館に赴いて取得する必要はありません。
【クウェート】3年連続訪問した私がオススメする見所まとめ
未知の国クウェート
今日は、あまり日本ではなじみのない国、クウェート国の話題です。
個人的に友達が多く、クウェートという国が大好きなこともありますが、UAEやカタールが注目されるなか、いまだ国家として観光産業に力を入れていないことに少し残念な感情を覚えています。
実はこの国、四国とほぼ同じ面積の小国ながら、湾岸諸国のなかでは美食の国として評判が高く、見どころも国内各所に点在しています。
空港でパパッとビザが取れる国なので、是非多くの人に訪れてほしいという気持ちを込めつつ、この国の代表的な見どころ10か所をご紹介します!
1. クウェート・タワー
クウェートについてあまり詳しくないという方も、このタワーに見覚えはあるかと思います。高さ187m、クウェートのシンボルとして世界的に有名なこの3基のタワーは、1979年にスウェーデンの建設会社によって建てられたものです。タワーには回転展望台も付随しており、美しい海と街並みを眺めながら食事を楽しむことができます。
2. クッバール島
クウェートの沖合に浮かぶクッバール島は、湾岸諸国でも屈指の美しいビーチで知られるほか、ダイビングの名所としても知られています。ここについてはダイビングに関する別の記事で改めて紹介予定です!島に行くには、ダイビングショップあるいは旅行会社にコンタクトをとる必要があります。
3. クウェート解放塔
湾岸戦争から間もない1993年に竣工した高さ372mの塔で、フセイン政権下のイラクからのクウェート解放のシンボルとして知られています。もともと通信塔という名前になる予定だったのですが、イラクによるクウェート侵攻(1990年)以降、建設が一時中断、その後に建設が再開されたという歴史から、今の名前に変わりました。表向き非公開にはなっているものの、AWARE CENTERのホームページからコンタクトをとり、観覧したい旨を伝えると訪問が可能です。
4. レッド・フォート
1897年にクウェートの指導者ムバーラク首長が建設した城塞です。クウェートシティ北方にある町ジャハラで唯一ともいえる見どころですが、1920年、この城を舞台に、湾岸諸国の趨勢を左右する戦い「ジャハラの戦い」が起こっています。クウェート側がサウード家と協力関係にあった民兵組織イフワーンの猛攻を防ぎ切り、その結果、クウェートはサウード家の勢力圏に入ることを免れたのでした。
5. アル=クライン殉教者博物館
クウェートシティの南郊外には、イラクによるクウェート占領期(1990~1991年)のレジスタンス運動で使用された当時の建物が保存されています。この建物では、占領軍に対し立ち上がった19名の戦闘員のうち12名が戦死しており、当時クウェート各地で起こったレジスタンス運動の象徴となっています。
6. スーク・ムバラキーヤ
オスマン帝国時代から商人の町として栄えてきたクウェートシティでも最大のスーク(市場)です。クウェートシティの人々の昔ながらの生活を感じることのできる場所として人気が高く、また、一角にはクウェート料理を提供するレストランも軒を連ねています。湾岸戦争で被害を受けたものの、その後綺麗に修復され、かつての賑わいを取り戻しています。クウェートシティ最古の郵便局(Kiosk)も残されており必見です。
7. サドゥ・ハウス
湾岸諸国の伝統的な手芸、サドゥの保護のために作られた博物館です。近代化が進み、ベドウィン(遊牧民)の伝統文化が失われつつあるなか、その貴重な遺産を守ろうと、クウェートのサドゥ協会が1980年に設立しました。2019年1月現在、300名ほどの職人がここに在籍しており、クウェートシティ市内でも特に人気のある観光スポットとなっています。
8. グランドモスク
1986年に完成したクウェート最大のモスクで、1万人以上を収容することができます。他のアラビア半島のグランドモスク同様、異教徒にも開放されており、クウェートの平日にあたる日曜から木曜に限り、午前と午後にガイド付きで内部を見学することができます。その美しい内装には目を見張るに違いありません。
9. ディクソン邸博物館
イギリスの外交官で、クウェート石油会社の創設にも関わったH.R.P.ディクソンが1929~1959年にかけて生活を送った邸宅です。ディクソンの妻、バイオレット夫人は、クウェートの独立(1961年)後も、イラクによるクウェート侵攻が起こるまでクウェートを離れることはありませんでした。バイオレット夫人は、湾岸戦争によるクウェート解放を待たずして、避難先のイギリスでこの世を去っています。
10. ファイラカ島
この島は、ギリシャ系王朝のセレウコス朝が築いたイカロス神殿をはじめとする古代遺跡の宝庫として知られているほか、湾岸戦争の主戦場のひとつとなった場所でもあります。島内の移動には許可証が必要であるため、旅行会社に事前にコンタクトをとる必要があります。面倒ではありますが、クウェートの長い歴史が詰まっているため、私としては最もオススメしたい観光地です。
今回は10か所の紹介ということですが、もちろんこれは私が主観的に選んだものであり、他にも当然見どころはたくさんあります。
この国、見どころが点在しているうえに、まだまだ観光地化が進んでいるわけでもないので、クウェート人の友人がいない場合、移動にしんどい部分があるかもしれません。
そもそもバックパッカーが行くような国でもないのですが、あまり人が行かない国に行きたいという方にとって、少しでも参考になればうれしいです。
【映画】『アラビアのロレンス』ゆかりの地まとめ
20世紀が誇る不朽の名作
今年(2019年)の1月8日、全米撮影監督協会(ASC)が発表した20世紀最高の映画作品に『アラビアのロレンス』が選出されました。
第一次世界大戦の時代、オスマン帝国と戦ったイギリス軍の諜報部員だったロレンス(T. E. Lawrebce)。彼のアラビアでの活躍を描いた本作品の舞台、およびロケ地をご紹介します!
1. ロレンス邸(サウジアラビア)
サウジアラビア西部の町ヤンブー(ينبع)に残るロレンスの邸宅です。
イギリス軍からアラブ反乱軍への補給はここから行われ、ロレンスもここを拠点にシリア方面への進軍を始めました。
ロレンスの邸宅の周辺の歴史的家屋は廃屋として放置されていますが、ここロレンス邸だけは修復工事が行われ、観光客向けに整備されています。
ロレンスとアラブ反乱軍が最初にオスマン帝国への工作活動として行ったのが、ヒジャーズ鉄道の爆破工作でした。
サウジアラビアの聖地メディナと世界遺産マダイン・サーレハの中間地点に位置する旧鉄道駅「ハディーヤ」(هدية)一帯には、脱線した鉄道が今も手つかずのまま残されており、非常にフォトジェニックな場所となっています。
シリアの首都ダマスカスには、ヒジャーズ鉄道のダマスカス駅の駅舎が今も残されているので、こちらも必見です。
3. ワディ・ラム(ヨルダン)
ヨルダン南部に広がる砂漠の谷ワディ・ラム。ここはアラビアのロレンスのロケ地として最もよく取り上げられる場所です。
本作品を観たことのある方の中には、アラブ人の反乱軍を率いて砂漠をかけめぐるその雄姿に憧れた方もきっと多いはず。
ロケに使われたその雄大な大地のなか、ロレンスと同じようにラクダに乗って砂漠を駆け巡ることができます。
4. アカバ要塞(ヨルダン)
アカバ要塞は、ローレンス率いるアラブ人部隊がアカバの戦い(1917年)でオスマン帝国軍から奪取した要塞です。
実際のロケはスペインにつくられたセットの中で撮影されたようです。本物のアカバとはちょっと雰囲気が違うのですが、ロレンスが実際に攻め入った要塞を見るのも粋なものです。
このエリアに掲げられている巨大な旗はアラブ反乱旗で、ロレンスと協力した現在のヨルダン王家ハーシム家が用いた象徴的な旗となっています。他の町では決して見ることのできない光景ですので、是非写真に収めてみてください。
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6世紀のアラブ世界について考えてみた。
歴史の陰に隠れた6世紀
ムハンマドは、アラビア半島の諸部族をイスラーム共同体に組み込んでいき、その後の正統カリフの時代には、旧来のアラブ世界を超え、東は中央アジアから西はベルベル人の地域に至る地域をその版図に組み込みました。それとともに、北アフリカではアラブ化が進み、アラブ世界も大きな広がりをみせていったのでした。
しかし、そんな7世紀に至るまで、アラブ世界はどんな状況だったのか、考えたことがあるでしょうか。多くのムスリムが、6世紀のアラビアをジャーヒリーヤ(無明時代)と呼び片付けてしまっていますが、その内実は、けっこう面白かったりするので、記事化することにしました。
イスラーム化以前も広大なアラブ世界のこと、アラブ人の部族名は挙げるときりがないので、ここでは、そうしたアラブ人部族が築いた王国・王朝についてまとめてみようと思います。
アラビア半島の南西部(およそ現在のイエメンに相当)で大きな影響力をふるった大国です。ヒムヤル王国は、後述の「キンダ王国」の建国に関わった他、隣国のハドラマウトやサバ王国を併合し、南アラビアを支配する大国となりました。この国はアラビア半島では最も強大なユダヤ国家(※もとは天体信仰の国)でしたが、東ローマ帝国からの宣教師を含むキリスト教徒の虐殺に際し、隣国のキリスト教国家「アクスム王国」(現在のエチオピア)と東ローマの反感を買い、525年に滅亡しました。その後、570年からはササン朝ペルシアの直接統治下に入ります。
キンダ王国
イエメンからアラビア半島を北に抜ける内陸の交易ルートを確保したいヒムヤル王国が、アラブ人部族のキンダ族の族長を王と任命するかたちでアラビア半島中部に築いた王国です。この王国は、ヒムヤル王国に従属するユダヤ国家という立場ではありましたが、アラビア半島中部の砂漠地帯に住むアラブ人遊牧民を統合した画期的な王国でした。一時は北方のアラブ王朝、ラフム朝(後述)にも打ち勝ち、ササン朝ペルシアのお膝元だったメソポタミアをも征服する勢いを見せましたが、後ろ盾であったヒムヤル王国が525年に滅亡するとともに、王国はあっけなく分裂してしまいます。その後、アラビア半島中部は各部族が連合を築く部族社会へと再び戻ることになります。
ローマとペルシアの国境地帯にあたるメソポタミア(現在のイラク)に誕生したアラブ王朝です。隣接するササン朝ペルシアの脅威となったラフム朝は、325年にはペルシア軍の進軍で首都ヒーラを攻略されました。しかし、国境地帯の保全に利用価値があると判断したペルシア側は、ラフム朝をローマの勢力圏や南方のアラブ人諸部族との緩衝国家として存続させることにし、以後、キリスト教王朝として繁栄することになります。王都ヒーラではアラブ詩を中心にアラブ文化が花開き、のちのアラブ文学にも大きな影響を与えています。
ローマ帝国と同盟関係を結んだアラブ人部族民らが築いたキリスト教王朝です。ローマ帝国を脅かすアラブ人部族民の北進に対する緩衝国家としての役割を果たしたガッサーン朝は、同様の理由からササン朝ペルシアの支援を受けているラフム朝と対立関係にあり、前者をローマ側が、後者をペルシア側が支援する構図が生まれました。ローマ帝国が東西に分裂すると、ササン朝ペルシアの侵攻という現実的な脅威に対抗するため、よりガッサーン朝が重要視されるようになります。ネストリウス派を信奉するラフム朝とは異なり、東ローマと同様に正教会を信奉するガッザーン朝は近しい存在でもありました。
空白地帯ヒジャーズ
アラブ世界で様々な王朝が生まれ、また、アラビア半島でペルシアの影響が強まるなか、政治的空白地帯として残されたのが、アズド族が支配するオマーンと、紅海沿岸のヒジャーズ地方でした。後者のヒジャーズ地方は、ペルシアとローマの勢力争いに巻き込まれず、かつ海賊が出没する紅海を避けられるという地政学上のメリットから、交易における重要度が増してきた地域にあたります。こうして、6世紀以降に注目を浴びるようになったヒジャーズ地方では、ザムザムの泉という潤沢な水資源を持つメッカが最も重要な町として台頭することになります。そして、571年、新たな時代を切り開く人物ムハンマドがこの地で誕生したのでした。
6世紀は、大国間の覇権争いのなかで翻弄されるアラブ人が時代のプレイヤーへと移行する黎明期でした。アラブ世界の各所に大国の手が及ぶなか、今にも覇権争いの渦に飲み込まれそうだったヒジャーズ地方から、このような時代の変革者が現れることにある種の時代的な必然性を感じてしまうのは、きっと私だけではないでしょう。
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【クウェート】一面ガラス張り!芸術家夫婦の邸宅が凄いとこになっている件
クウェートで人気沸騰中!
クウェートで最も有名な観光地といえば真っ先に浮かぶのが、三棟の塔で知られるクウェートタワーかもしれません。
しかし、近年特にヨーロッパ人旅行者を中心に評判が高いのが、首都クウェートシティ市内にある「ミラー・ハウス」という場所です。
歴史的な場所という訳ではないのですが、これがけっこう面白いところなので、ひとつの記事として紹介したいと思います。
芸術家夫妻の生涯の傑作
最も有名な芸術家のひとり、ハリーファ・アル=カッターン(1933~2003年)と、その夫人で芸術家でもあるリディア夫人が過ごした邸宅を、その芸術で埋め尽くしたのが、ここ「ミラー・ハウス」です。
1960年にクウェートに移り住んだリディア夫人が1972年から自宅を芸術作品として利用しはじめ、そして2005年には、自宅の外壁と内部が全て夫妻の芸術作品で覆われることになったのでした。
クウェートの奇才画家
サークリズム(Circlism)という独特のスタイルを開拓した画家、ハリーファ・アル=カッターン。アラブ諸国のみならず、ヨーロッパや中国などでも個展を開いた実力派の画家でした。
彼は、クウェート芸術協会を開設し、自国の芸術の発展に貢献したほか、クウェートの芸術界の重鎮として、政界でも活躍してきました。
そんな彼が結婚した相手が、同じく芸術家であったイタリア人の画家、リディア・ジュゼッペ・スカッギョナリでした。
自宅を彼女の芸術作品に
リディア夫人は、アル=カッターン家の邸宅を一面の芸術作品へと変貌させました。夫のハリーファ氏はその完成を見ずに亡くなりましたが、その後も夫人は、自宅を改造し続けました。
自宅を芸術作品とした画家は他の国でも見られますが、一面をミラーで覆いつくした邸宅は、世界でもここクウェートでしか見ることができません。
いずれにせよ、ホームページよりアポイントを取ってから入場するきまりとなっているようです。今もご自宅として使われている場所なので、訪問前にはきちんとコンタクトをとって、失礼のないようにご配慮下さい。
2019年1月現在、メンテナンス中のようです。次の開館が待たれます。
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