みなさん、お久しぶりです!
今日は、ゴールデンウィークを使った2022年度初の海外旅行についての投稿になります。
訪問した国はインドネシア。
※地味に初訪問でした…。意外ですが。
1. 渡航の経緯
さて、私がインドネシアに行こう、と思い立ったのは3月のこと。
私がフリーランスになって初めての依頼をくれた恩人で友人のSさんと遊んだとき、インドネシアの国境が開きつつあるという話を聞いたのがキッカケでした。
当時はバリ島のみしか観光客は受け入れていませんでしたが、インドネシアのオンライン上の知人とも相談し、期待を込めてジャカルタとの往復便を予約しました。
それからしばらくは、「本当にGWまでにジャカルタからの観光客の入国が受け入れられるのだろうか…?」と、不安に駆られながらの日々を送っていましたが、4月6日にはジャカルタからの観光客のVOAでの入国が認められ、無事に渡航が叶うことに…!
しかし、直前になって私の搭乗予定の飛行機がキャンセルされ、新たに約17万をはたいて航空券を取るというハプニングもありましたが、背に腹はかえられぬと、意志を曲げずにインドネシア行きを決行したのでした。
2. いざジャカルタへ!
インドネシアの入国には、PeduliLindungi というアプリのダウンロード、そして海外旅行保険の証明などが必要となります。
PeduliLindungiでは、プロフィールの記入のほか、事前にワクチン接種証明書を3回分登録しておきました。そして、海外旅行保険は、念のため日本の保険会社で予約しました。
そんなこんなで、事前の準備を済ませて出国当日を迎えた訳ですが、出国時のチェックインカウンターでは、①PeduliLindungiのプロフィール欄、②海外旅行保険、③ワクチン接種証明書、④PCR検査の陰性証明書、の4つがチェックされました。
※入国時には、PeduliLindungiでのQRコードのスキャンが求められたほか、VOAのカウンターでは、PCRの陰性証明書の提示と36ドル(5000円)の支払いが求められました。
3. 魅惑のコタ地区
インドネシアの首都ジャカルタに降り立った私が滞在先に選んだのは、オランダ植民地時代のコロニアル建築が立ち並ぶコタ地区(Kota Tua)というエリアです。
日本人の多くがタムリンなどの中央ジャカルタに宿泊するなか、私がこのエリアにこだわったのは、都会の雰囲気というよりは歴史的な雰囲気を感じたかったからです。
北ジャカルタに位置し、中央ジャカルタや南ジャカルタなどへのアクセスはあまり良いとは言えませんが、利便性より、自分の旅のこだわりを優先したわけです。
という訳で、そんなコタ地区で撮った写真を軽く紹介します!
こちらはコタ地区の中心、ファタヒラ広場にあるかつてのオランダ植民地時代の執務室があった建物です。現在はジャカルタ歴史博物館として利用されています。
ファタヒラ広場の人気スポットとなっているのがこちら、カフェ・バタヴィア(Cafe Batavia)です。バタヴィアというのは、オランダ植民地時代のジャカルタの名称で、実際に当時の上流階級が集ったであろうカフェの雰囲気が感じられるスポットです。
コタ地区の北部に残されている「VOC」オランダ東インド会社の倉庫跡は、今は海洋博物館となっていました。
ジャカルタはアラブ世界とも繋がりが深く、イエメンのハドラマウト地方から移民したハドラミーが多く暮らしています。そんなハドラミーの1人が眠るのがここ、Makam Habib Hussein Luar Batang。多くの方が礼拝に訪れていました。
海外メディアにも取り上げられる水没モスク。ジャカルタは地盤沈下が世界一の速さで進行しており、その脅威をこの目で見ることが出来ました。手を伸ばしてカメラを壁より高くして撮影した1枚。
コタ地区周辺の散策は本当に楽しく、他の東南アジア諸国とはまた違った、オランダならではの運河中心の町づくりの思想と東南アジアの地域性がミックスされた独自の雰囲気を味わうことができました。
次の記事では、コタ地区から一歩外に出て、華僑が多く暮らす「中華街」グロドック(Glodok)について紹介しようと思います!
ではでは!