ロシア最大の島として知られるサハリン島。日露戦争末期の樺太占領、シベリア出兵時の保障占領を除き、1875年以来ずっとロシア(ソ連)の施政下にあった50度線以北のサハリンは、日本統治時代を40年間も経験した南部とはまた違った風景が広がっています。
ドゥエ(アレクサンドロフスク・サハリンスキーの南にある町)とガスチェッロ(ポロナイスクの南にある町)を結ぶ分類境界線として知られるシュミット線の北側には、概ね日本と異なる植生が広がっていることから、より異国を感じさせる雰囲気となっています。
州都ユジノサハリンスクから3泊4日の強行軍で臨んだ北サハリンの旅。しかし、それでも、最北端の町として知られるオハやノグリキ、アレクサンドロフスク・サハリンスキーなど、北サハリンのほとんどの主要な町を訪れることができました。
そんな北サハリンで、ここは良かった、再訪したい!と思えた場所を、ここでは訪問地別に一気に紹介していこうと思います!
1. オハ
まずご紹介するのは、サハリン最北端の町オハです。
オハは、もともと先住民族エヴェンキの言葉に由来する名前で、ロシア統治下のもと油田開発の拠点として発展を遂げてきました。オハは、北サハリン最大の町、サハリン全体で見ても4番目に大きい町で、見どころが詰まっています。
オハ市内でまず紹介したいのは、市内のランドマークとして知られるロシア正教会、ラドネジの聖セルギイ教会(Церковь Сергия Радонежского)です。この教会は、オハ管区の町ネフチェゴルスクで1995年に発生した地震による犠牲者を追悼するために建てられたものです。
教会から南に歩くと見えてくる文化宮殿(Районный Дворец культуры)の敷地内にはレーニン像も建てられています。規模としては州都ユジノサハリンスクのものとは比になりませんが、サハリンの最北の地のレーニン像、これは写真に収めておいて損はないと思います。
町のなかには、このレーニン像以外にもソ連時代のモニュメントが数多く残されているので、それらを訪ねて散策するのもまた面白いかもしれません。また、市内には、ロシア帝政期の油井「ゾトワの塔(Вышка Зотова)」も残されており必見です。
※油井「ゾトワの塔」の位置情報
特に何があるというわけでもありませんが、オハのバスターミナルからは、かつて先住民族の定住化のためにつくられたサハリン最北の集落ネクラソフカまでのバスも発着していますので、興味がある方はぜひ足を運んでみて下さい。
2. ネフチェゴルスク
次に紹介するのは、オハ管区にあるネフチェゴルスクです。ネフチェゴルスクは、かつては約3000人の住人が暮らしていた北サハリンでは有数の町でした。しかし、直下型地震により町は壊滅、約2000人の尊い命が犠牲となりました。
現在、ほとんどの建物が撤去されており、かつての町の中心には震災による犠牲者のための慰霊碑が建設されました。各アパートの跡地には、その建物の番号を記した碑が建てられているほか、町の中心部から離れた場所では、低層階の建物や電線などを中心に地震当時の痕跡がそのままの状態で放置されています。
北サハリンの主要な町、そして州都ユジノサハリンスクには、ネフチェゴルスク地震の慰霊碑や慰霊のための教会が建てられていることからも、この震災がサハリンの人々に与えた衝撃がいかに大きかったかを窺い知ることができます。
3. ノグリキ
ノグリキは、北サハリン有数の大河トウィミ川の河口に開けたサハリンで7番目、北サハリンで2番目に大きな町です。町の名前は、かつてこの地にいたニヴフの部族から付けられたもので、今でもニヴフの人々が少なからず暮らしています。
私は(往復ともに)町に着いたときにはすでに閉館時間を過ぎていたため訪問は叶いませんでしたが、町の東部には、先住民族ニヴフの詳細な展示などを行っているノグリキ郷土博物館(Краеведческий Музей)が開館しているので、お時間のある方はぜひ訪れて頂きたい場所です。
ノグリキ市内の中心部には、こちらもオハと同様にネフチェゴルスク地震の犠牲者を追悼する目的で建てられた聖堂(Церковь Введения во храм Пресвятой Богородицы)があるので、こちらもぜひ見学してみてください。
4. アレクサンドロフスク・サハリンスキー
ロシア帝政期に、サハリンの拠点として建設された町で、かつてサハリンを訪れたチェーホフが最初に上陸した地としても知られています。今でも北サハリンで3番目に大きな町で、サハリン全体で見ても10番目に大きな町としてその存在感を保っています。
町のなかで絶対に訪れてほしいのは、チェーホフが身を寄せていた元囚人ランコバルドの邸宅を改装した博物館「A.P.チェーホフ歴史文学博物館」です。ここには、ルポルタージュ『サハリン島』の執筆のためにここに滞在したチェーホフの資料の展示などがなされており、必見です。
そのほかにも、1891~1893年にかけて建設された聖堂(ソ連時代に解体、ロシア連邦になって再建)を筆頭に、帝政期の歴史的な建物が多くみられることから、ソ連色の強い他のサハリンの町とはまた違った散策を楽しめます。
5. ティモフスコエ
かつて流刑囚たちによって築かれた町で、今では北サハリンと南サハリンの主要な町を結ぶ交通の要衝となり、北サハリンで4番目に大きな町として発展を遂げました。
市内には銀色のレーニン像がそびえ立つ中央広場があり、そのすぐそばには、この町の辿った歴史を紹介するティモフスコエ郷土博物館(Тымовский Краеведческий Музей)があります。そこまで規模は大きくないものの、この町を訪れた際はぜひ訪れてほしい博物館です。
6. オノール
北緯50度線のすぐ北にある集落オノールは、人口1000人ほどと小規模ではあるものの、1892年に建設されたサハリンのなかでも比較的古い歴史的な集落です。ここは、かつて日露戦争末期の樺太の戦い(1905年7月7日~7月31日)において、南サハリンから敗走したロシア軍との間で7月16日に停戦が実現した場所として知られています。
※その後、日本軍は当時のサハリン州の州都であったアレクサンドロフスク・サハリンスキーに7月24日になって上陸、ロシア側は町を放棄して撤退し、7月31日になって日本軍に降伏しました。
今のオノールにおいて日露戦争当時の痕跡を見ることはできませんが、代わりに、中央広場には第二次世界大戦末期の樺太の戦いでの戦死者の慰霊碑が建てられています。
いかがだったでしょうか?
サハリン北部は寒冷地であることもあり、町が少ない印象を持たれがちなエリアですが、意外と北部にもそれなりの規模の町があることが本記事でお分かりいただけたと思います。
帝政ロシアを感じさせるかつての州都アレクサンドロフスク・サハリンスキーをはじめとする旧国境付近の町を除けば、大半の町が北サハリンの石油資源を開発するために発展してきたという事情もあり、歴史的な見どころはかなり少ない印象を受けます。しかし、北サハリンの魅力は、町だけでなくその美しい自然にこそあります。タイガの森と、その行く先々で待ち受けるダートの道は、手つかずの自然が残る北サハリンならではの原風景であり、旅人の冒険心をくすぐってやみません。
北サハリンの魅力については、私のYouTubeチャンネルでも2回に分けてご紹介していますので、ぜひそちらも併せてご覧ください。
サハリンを訪れる人の多くが、ボーダーツーリズムや日本統治時代の痕跡巡りを目的としていることもあり、北サハリンに関する日本人の動画はほとんどないのが現状です。
私は主に4WDでドライブを楽しみながら北サハリンを巡っていましたが、コロナ禍のあとに発給されることになっている電子査証(Eビザ)で16日間滞在できますので、サハリン滞在の際は、本ブログの内容や動画の内容を踏まえ、アレクサンドロフスク・サハリンスキーなど北サハリンも併せて訪れて頂けますと幸いです。