(注)この記事を書いている私は今レバノンの首都ベイルートにいます。
*ウマイヤド・モスク(715年の建設)
つい先日シリアを離れたばかりの私。11日間に及んだシリア訪問について、Q&A形式で今の率直な気持ちを共有したいと思います。
Q. なぜシリアを訪問したのか
(1)治安面で大幅な改善がみられたこと、(2)シリア政府による観光客受け入れが再開したこと、が主な理由となります。(1)については次項にて詳しく説明しますが、主要な観光地での安全が確保されたことで、2018年11月には観光ビザ制度が大幅に緩和され、比較的自由に旅行ができるようになりました。
アラブ諸国で唯一行けていなかったシリアを簡単に訪問できるようになったと知り、2019年1月後半にコンタクトを取り、2月中のシリア訪問を実現しました。
Q. シリアは危険ではないのか
*夜のダマスカス
おそらく日本では、2012年の日本人ジャーナリスト射殺事件、2015年の日本人人質事件などもあり、シリア=危険地帯というイメージが極めて強いように思います。事実、2012〜2016年ごろはシリアの大半の地域が本当に危険地帯であり、国内のシリア人のほとんどが死に直面していた時期でもあります。
しかし、2016年のシリア政府によるアレッポ奪還を皮切りに状況は変化し始めました。2018年2月にシリア首都圏の反体制派の最後の拠点ドゥーマの奪還に代表されるように、2018年までにシリアのアラブ人地域の大半がシリア政府により奪還されています。
*2019年1月現在のシリア勢力図
赤がシリア政府軍、黄色がクルド人主体のシリア民主軍、緑がアルカイダ系のヌスラ戦線を主体とする反体制派の支配地域
こうした状況の中で政府側が支配する地域を旅行した私は、国内の治安維持がかなり機能しているという印象を受けました。主要都市では深夜でも男女関係なく人通りがありましたし、バーやカフェも深夜まで営業しているところが多かったです。いわゆる「戦地」という響きからはかけ離れた世界がそこにはありました。
Q. どこを訪れたのか
*キリスト教の巡礼地セイドナヤ
今回訪問したのは、(1)ダマスカス首都圏、(2)セイドナヤ、(3)マアルーラ、(4)アレッポ、(5)ハマー、(6)マスヤーフ、(7)ホムス、(8)クラック・デ・シュヴァリエ一帯、(9)ラタキア、(10)タルトゥース、というシリア西部の大半の主要な観光地となります。これらの訪問地においては特にトラブルもなく自由に観光ができました。
また、ダマスカス、アレッポ、ラタキア、タルトゥースには数多くの友人がいたことから、これらの都市では彼ら/彼女らとの時間も出来る限り取りながら行動しました。この点については、私を全面的にサポートして自由時間の確保に協力してくれたガイドに心から感謝しています。
Q. シリアで何に一番感動した?
*デート中のカップル
何と言っても多様性溢れる民族・宗教・文化です。これはコーカサス地方、旧ユーゴスラヴィアなどの魅力にも置き換えられることかもしれません。シリアでは、スンニ派、アラウィー派(シーア派)、イスマーイール派(シーア派)、十二イマーム派(シーア派)、ドゥルーズ派、マロン派キリスト教徒、正教徒、ユダヤ教徒、アルメニア人、クルド人など、本当に多くの人々が今日まで共存しながら1つの国の中に生きてきました。
これらのコミュニティのうちユダヤ教徒の多くは国を去ってしまいましたが、それでもなおシリアが多様性溢れる国であることには変わりませんし、私はこの魅力を強調し続けたいと思います。
Q. シリアに来て良かったことは?
*ハマーの水車
ずっと見たかったシリアの歴史的な見所をこの目で見られたことです。ウマイヤド・モスク、マアルーラ、アレッポ城、ハマーの水車(ノーリア)、クラック・デ・シュヴァリエ、の5ヶ所は特に行きたくてたまらなかった場所だったので、実際にこの目で見られて本当に良かったです。特にマアルーラの聖ゲオルグ修道院でアラム語による礼拝に立ち会ったことは最高の思い出です。
最後に
*ラタキアで見た夕陽
2011年にアラブ世界の多くの国に広がった「アラブの春」はシリアに大きな爪痕を残しました。破壊と殺戮の限りを尽くしたシリア内戦は約40万もの尊い人命を奪ったほか、国民の半分以上の約1000万もの人々から故郷を奪うという悲惨なものとなりました。
2019年2月現在、シリアの大半の地域に平和が戻り、一般人のシリア旅行は非常に簡単なものとなりましたが、今この時も国内外で苦しんでいるシリア人たちがいるということを頭にとどめ、これからも情報発信に努めていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。
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